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論拠示せぬ首相交代劇/赤川次郎・三毛猫ホームズと芸術三昧! [赤川次郎]

☆作家・赤川次郎さんの文章です。是非読んでみて下さい。

▽朝日新聞9月9日夕刊連載記事
赤川次郎・三毛猫ホームズと芸術三昧!「論拠示せぬ首相交代劇」より転載しました。
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ここより引用開始

中略

菅首相から野田首相へ、民主党政権で早くも3人めの首相誕生となった。
それにしても、菅さんほどマスコミに嫌われた首相も珍しいだろう。
どの新聞の社説もコラムも「早く辞めろ」の大合唱だった。

しかし、どの記事を読んでも、私には菅さんがなぜ辞めなければならないのか、分からなかった。辞めたら何が良くなるのか、どこにも書かれていなかった。中には論説委員の署名入りのコラムなのに、冷静な批判とは程遠く、ほとんど感情的な罵倒に近いものさえあった。

ここまでマスコミが感情的になるのは、「本人が辞めると言ったんだから辞めろ」という以外の、筋道を立てた論拠が示せないからだ。経団連の米倉弘昌会長が何とか菅さんを辞めさせようとくり返し発言していたのを聞くと、結局、電力会社に嫌われたから辞めなければならなかったのではないかと思える。

この首相交代劇で、「脱原発」の勢いにはブレーキがかかることになるだろう。そうさせない覚悟が、今のマスコミにあるのだろうか。


フィンランドの地底深く造られた高レベル放射性廃棄物の最終処分場のドキュメンタリーを見ると、感心するより呆れるより、ブラックジョークとしか受け止められない。施設がいっぱいになったらコンクリートでふさいで、10万年は大丈夫だという。人類の歴史は古代文明から数えても5千年くらいのものだ。ツタンカーメンだってピラミッドは永遠だと思っていただろう。「10万年は大丈夫」と言う科学者は無責任である。むしろ、「10万年たっても、放射能は危険だ」ということこそ強調されなくてはならない。
私のような素人が見ても、あんな巨大な地底施設を造るくらいなら、その莫大な費用で新エネルギーの開発を進めた方がよほど現実的である。

自然エネルギーを、「コストが高い」とか「安定供給できない」と批判する科学者は、放射性廃棄物を10万年保存できる方法を考える方がいかに大変かを認識するべきだ

コストや安定供給の問題は人間の知恵で何とかなる範囲内だろう。今の企業に遠慮して、将来の子供たちを危険にさらすことは許されない。

ここまでで引用終了
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☆ネット上である方が言っていました。
6月までは脱原発派と推進派とが拮抗して争っていたが、7・8月になって推進派が巧みに巻き返してきて復権してしまったと。
菅総理が四面楚歌で辞めさせられたのは8月でした。
自民党や経団連の米倉弘昌会長の覚えのいい人が後継総理となり、来夏までには原発再稼動すると発言しています。
赤川次郎さんも述べておられるように多分、「脱原発」の勢いにはブレーキがかかってしまったんだと思います。
前原氏は20年かけて脱原発すると言っています。
しかし、20年もかかったら実質脱原発ではなく、原発維持推進です。
減原発とか一見すると脱原発ではないかと思われるこのような実質推進勢力が勢いを増しているように思います。
推進派は巧みに疑似脱原発派に成りすまし復権してきたのです。
もう一度考えてみてください。
原発を再稼動すれば、また新たな放射性廃棄物が生成されるのです。
そしてそれは「10万年たっても、放射能は危険」なのです。
今、国の借金のつけを子孫に残していいのかといいます。
では、放射性廃棄物というつけを10万年も子孫に残してもいいんでしょうか。
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「想像力ない原発論議」赤川次郎氏 [赤川次郎]

朝日新聞2011年5月20日夕刊、作家赤川次郎氏の連載記事、三毛猫ホームズと芸術三昧!「想像力ない原発論議」より

(以上略)

原発推進の立場の某作家は、毎年正月に何人かの年寄りが餅を喉に詰まらせて死ぬが、だからといって餅を食べることを禁止しない、と言った。 北野武も「交通事故の年間の死者の数を考えて、自動車に乗るのを止めましょうとは言わない」と語っている。けれども、もし年寄りが一人、餅を喉に詰まらせて死んだら、その家から半径20㌔の住民は避難しなければならず、何十年も故郷に戻れないとしたら、そんなもの誰が食べるだろうか。 車が一台事故を起こす度に、その車を巨大なコンクリートの石棺で覆わなければならなかったら、日本中の道路はどこも走れなくなるだろう。そんな乗り物が普及するはずもない。 原子力発電所が特別なのは、事故が起きたときの被害の桁違いの大きさにこそある。 たった一カ所の原発の事故で、「技術立国」であったはずの日本は(しかも唯一の被爆国なのに!)どれほど世界の信用を失ったか。 「餅」だの「車」だの、「普通の事故」になぞらえること自体、原発の最大の問題点を無視した無意味な議論である。「世界的映画監督」の想像力はこの程度のものなのか。(以下略)

赤川次郎氏のこの意見に全くの同意です。 原発推進の立場の人がよく主張する論理です。 「交通事故死者は年間一万人近くに上る。それでも自動車禁止にはならないし、皆平気で自動車に乗っている。」 「原発事故では一人も死者は出ていないが、炭鉱事故では何百人と亡くなっている。どちらが危険か。」 「煙草による発がん性の危険に比べたら、放射能の方が安全だ。」などなど。 赤川氏が言うように「普通の事故」になぞらえる、原発の最大の問題点を無視したこのような「無意味な議論」はもうやめたい。 一回の交通事故で亡くなるのは多くても数十人、飛行機事故では数百人、炭鉱事故でも数百人。 大惨事には違いないし、犠牲者には気の毒とは思うが、事故はそれきりで終わり、空間的にも時間的にもそれ以上影響は広がらない。 しかし、原発事故は、たとえ放射線の急性傷害での現場の死者が出なくても、晩発性傷害の死者は原発労働者ばかりでなく周辺住民にも遠く広く及ぶ。 周辺住民は居住地を追われ避難しなければならなくなり、何十年何百年も人が住めなくなる。 水も空気も食べ物も放射能汚染したものを長い期間取らなければならなくなる。 さらにチェルノブイリの例に拠れば、放射能で死亡でなくても多くの人の寿命が短くなったり、放射能を浴びたことによる健康不安、精神的ショックなどでのアルコール中毒患者の増加、うつ病による自殺者の増加なども考えられる。 その影響力の深さ広さ長さは、自動車事故などと比べようもない。 煙草について言えば、先ず煙草は赤ちゃん、子供は吸わない。 大人で吸いたくない人は吸わないで危険を避けることが出来る。それでも吸ってガンになる人間は自己責任。 けれども、原発事故による放射能は、不条理にも煙草を吸わない赤ちゃん、子供にも、原発賛成の人、反対の人にも否応もなく等しく降りかかる。 これらを同等に比較して議論なんて出来るだろうか。 もうこういう不毛な議論はやめにして欲しい!!!
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